【3】<体験記>たたかいのはじまり-3
そして二日後。
私は慶応義塾大学病院にて診察を受けることになりました。会社の次長が同行してくれ、タクシーで同病院を訪れました。一時間ほど待った後に精神科の医師の診察を受けました。精神科医の世界で有名な方である、と事前に聞いた気がします。
問診の内容は全く覚えていません。記憶にあるのは、問診の最後に、自分が焦点の定まらない虚ろな視線のまま絞り出した声で「先生、私は良くなるのでしょうか」と言ったことのみです。それに対する医師の回答が「大丈夫ですよ、必ず良くなりますよ」だったのか「完全に復調するのは難しい」的なことだったのか、ここも覚えていません。
診察の結果、私には「うつ病」という診断が下りました。そして「希死念慮」が強いため、即座に慶応の系列病院に入院することになりました。ここでいう希死念慮という言葉を初めて聞かれる方も多いのではないのでしょうか。これは「死んでしまいたい、死んだほうがいいのではないか等と考えること」を意味します。
この時点でも私の思考は事態を受け止めることを拒否していました。PCでいうところのOSがフリーズしているような感覚です。身内がいるときは食事を少し食べましたが、一人の時はただ布団で横になって天井の何もない部分をじっと見つめていました。
そして東京郊外のとある病院に入院しました。入院する時に色々な誓約書等にサインしました。いわゆる精神病院の閉鎖病棟です。世の中のほぼ全ての人が経験することのない世界ですね。とにかく静かに寝たかったので相部屋ではなく個室を選択しました。食事とシャワーの時以外は部屋の外に出ることなく、ただ只管に横になっていました。人生で初めて病院食を食べたのですが、塩味がほとんどせず美味しくないですね。塩なしで茹でたような鮭の切り身と、味のない味噌汁、べちゃべちゃのご飯を記憶しています。
漫画のドラゴンボールで「精神と時の部屋」というのが出てきますが、私の印象では、そうした世界にいるように感じていました。ただ真っ白な世界で虚無な世界です。
その中で一週間ほどたつと遅まきながら、自分がとんでもないことを起こしてしまったこと、会社に顔向けできないほど迷惑をかけてしまったこと、特に自身が担当していた案件でチームの上司・同僚に大きな迷惑をかけている、ということを考えていました。一度、個室で寝ていると所属部署の部長がお見舞いに来てくれたのですが、私は現実認識できずにただ、部長の顔をボーっと見ているだけでした。
だんだん普段の思考ができるようになり、いつまでもここにいたくない、と思いました。医師や院長と面談を重ね、数週間後に「もう希死念慮の恐れはないだろう」ということで退院することができました。会社からは「すぐに職場復帰は無理だろうから、しばらく自宅療養(精神科へ通院しながら)するように」との指示がありましたので、その通りにさせていただくことになりました。
そして初回の休職(自宅療養)が開始します。